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2017-11

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ポーラ化成工業株式会社 ダルジャン - 2017.03.20 Mon



化粧品にしては硬派なデザインの瓶ですが、
然り気無い個性があります!
ポーラ化粧品のダルジャンです。

ポーラの製品を取り上げるのは、これが初めてです。
戦前から続く老舗ではありますが、昔の瓶がなかなか手に入りにくいのと、
商報など調べても他メーカーと比べ広告量が圧倒的に少ない(=情報が少ない)ため、
なんとなく後回しにしてきてしまいました。
しかし、今回はダルジャンがまとめて手に入ったので重い腰をあげます!

POLA-DARGENT2.jpg

全長はベークライトのスクリューキャップを含めて約8cmあります。
ぽってりとした質感の陶製ビンです。

POLA-DARGENT3.jpg

ビンは表面も背面も同じデザインで、ラベルが有る無しだけの違いのようです。

POLA-DARGENT4.jpg

でっぱりを含めないとビンの厚みは約2.2cmです。

POLA-DARGENT6.jpg

POLA-DARGENT7.jpg

POLA-DARGENT8.jpg

ダルジャンの箱です。
以前の持ち主の仕業でしょうか?テカテカのセロハンテープで補強されています。
箱側面には「ポーラ ダルヂャン」という商品名と「光る化粧」という謎の言葉が!
この「光る化粧」という言葉の意味は後々判明することになります。
箱裏面には英語で商品の説明があり、意訳すると
「ダルジャンはあなたに、簡単でモダンな化粧法をご提案します。
 あなたの肌に合った色の粉白粉とご一緒にお使いください」
という意味になります(多分)。
更に箱の内蓋にも使用方法が書いてあります。
「ポーラダルヂャンをお顔へシットリ伸します、其上へ直ぐ粉白粉をどうぞーー
 勿論お肌の色に合ったものを。
 そして数分間静かに音楽でも聞きながらお肌を休めて下さいーー
 光る化粧、生きたお化粧の為に」
音楽でも聞きながら……なんだかポエムみたいな文章です!

POLA-DARGENT9.jpg

箱の底には会社名と住所だけでなく容量と価格も記載されています。
ポーラがポーラ化成工業株式会社になったのは1943年ですから
それ以降に作られた物と思われます。
どうして医薬品扱いなのかは、よく分かりません。
ポーラが軟膏の製造所として軍需工場の指定を受けていたからでしょうか。
10円という価格が高いのか安いのかですが、1943年頃の貨幣価値を現代に
換算すると1円=約2500円らしいので、10円=約25000円ということに!
これはちょっと高過ぎますね!
1946年頃だとすると1円=約400円なので、10円=約4000円になります。

POLA-DARGENT10.jpg

箱付きの他に、ビンだけのダルジャンも2つあります。
全て陶製です。

POLA-DARGENT11.jpg

左端のダルジャンはちょっと小さめですね。

POLA-DARGENT12.jpg

三つとも蓋はベークライトなのですが、デザインがバラバラです。
厳しい容器事情の為にデザインを統一する余裕は無かったということでしょうか。
こんなにデザインが違うのにどれもサイズ感はピッタリというのが面白いです。

ここからはポーラについて少し説明します。

創業者の鈴木努氏は静岡県生まれ。
なかなか商魂逞しい人物だったようで、大和ゴムや日本紅茶での勤務を経て、
春雨の輸入販売やラシャ紙の製造など、様々な事業に手を出していたようです。
しかしどれも上手くいかず、最終的に名古屋で創業した晒綿事業は
世界恐慌の煽りを受けて、生活は一向に良くなりません。
世間の情勢に左右されない事業を考えていた彼は、
「女性はどんな状況にあっても美しくありたいのでは?」ということに思い至ります。
化粧品事業を決意した彼が、妻の美千代さんに言い放ったとされる言葉がこれです。

「日本中の女を俺になびかせてみせるぞ!」

……自分がもし奥さんだったとしたら、
「はぁ~?アンタ何馬鹿なこと言ってんの!」と全力で突っ込む自信があります(笑)
でも、実際なびかせてみせたのですから、大したものです。
彼は早速、晒綿事業の傍ら化粧品製造についてのノウハウを学びました。
そして1929年9月、初めての製品であるクリームを完成させます。
美千代さんが行商に行き、一箱2〜3円のクリームを少しずつ売り歩きました。
2〜3円というと当時としては高価でしたが、高くても良い物は売れるはず……
というのが鈴木氏の信条だったようです。
1931年、化粧品事業に手応えを得た鈴木氏は家族を連れて故郷である静岡県に帰り、
「南光化学研究所 ポーラ化粧品」を創業しました。
ポーラの由来は諸説ありますが、鈴木氏は「声に出して感じの良い言葉を選んだ」と
後年に語っています。

さて、めでたく創業した鈴木氏ですが、最初のうちはやはり苦労したようです。
資金不足で広告を出せないため知名度は上がらず、知名度の無い製品を置いてくれる
小売店も無いため、訪問販売という販売手法をとることになります。
しかし当時、化粧品の訪問販売は珍しく、客は警戒心のため購入に至りません。
そこでセールスマン達は、客の警戒心を取り除くため数々の工夫をしました。
一箱売りではなく量り売りを基本にして少量を気軽に試せるようにしたり、
化粧品を売る以外のサービス(化粧のレッスンなど)を無償で提供したり……
その工夫のかいもあって、ポーラ化粧品は少しずつ一般に受け入れられていきます。

そして1938年、満を持して誕生したのが、ダルジャンです。
当時の乳液は脂肪分が高いせいでベタベタした使用感のものが多かったらしく、
ダルジャンは開発の際に使用感の良い乳液を作ることを目的とされました。
それからもう1つの大きな目的は、「金属的な色調」の物を作るということです。
ダルジャン(仏語で銀という意味)という名称の由来はここにあります。
「金属的な色調」が一体どういうものなのかは、文章から想像するしかありません。
社史では「名古屋時代に見た黒川の、夏の日差しを照り返すさざなみの乱反射の再現」
「乳液の中のキラキラ光る粒子」とだけ表現されています。
これだけ読むと、半端なくギラギラ輝くような乳液が想像されますが(笑)
実際は現代にもあるような、パール感のある化粧品だったのではないでしょうか。
また、乳液とありますが、ダルジャンの箱に書いてある使用方法を読む限りでは、
化粧の際に肌にツヤ感を与えるための化粧下地のような物だったことが想像できます。
それなら、箱に書いてあった「光る化粧」という言葉にも納得です!
開発には苦労したようで、液体の粘度とキラキラした質感を安定、維持するために
相当な労力を費やしたそうです。
そうして誕生したダルジャンは、社内でも大きな歓迎を持って迎えられるとともに、
客からの評判も上々、一躍主力商品の仲間入りを果たしました。
ちなみに、この当時のダルジャンの容器は、陶製の物とデザインは変わらないものの
ガラス製であったことがポーラのHPの写真で分かります。
写真が小さいので分かりませんがラベルのデザインにも違いがありそう?

順調に成長を続けるポーラですが時代の流れには逆らえず、
他の化粧品会社と同様に戦時色が濃くなるにつれて世間の風当たりが強くなります。
特に「ポーラ」は敵性語と勘違いされることが多く、販売には苦労したそうです。
1941年の時点で、製造販売の認可が得られたのはダルジャンを含めた8品目のみ。
会社を存続させる為に軟膏素材の製造を成功させ1943年には海軍の指定工場となり、
社名を「ポーラ化成工業株式会社」としました。
軍需工場となることで苦しい状況を打破したかに見えましたが、
1944年からの米軍による度重なる空襲で、ポーラは本社と工場を失ってしまいます。
失意の中、8月の終戦を迎えた鈴木氏と社員達はポーラの再建に奔走し、
1946年の6月に「ポーラ商事株式会社」として化粧品の製造販売を再開しました。
(このあたりの社名の変遷については、正直よく分かりません。wikiによれば、
ポーラ商事株式会社はあくまで販売部門の独立であって、ポーラ化成工業株式会社は
その後も存在しているようですが……)
この時、製造が再開された化粧品にはダルジャンも含まれています。
当時の化粧品容器の事情について、社史ではこうした説明がなされています。

「ガラス容器を注文しようにも製瓶会社はまだ生産を始められる状態ではなかった。
 仕方なく、焼け残った陶製の容器にクリームを詰めたりして製品にした。
 陶製の容器は、製法も原始的だったから不揃いでみてくれの悪いものであったし、
 内容物がもれるなどの問題点があったが、これに代わる容器はなかった。」

代用品は陶製の容器であったことがはっきりと書かれています。
また、「焼け残った陶製の容器」という記述から、陶製の容器は戦後だけではなく、
戦時中から使用されていたと推測できます。
私の持つ陶製のダルジャンが戦時中に作られた物なのか、1946年以降の物なのかは
ハッキリとは分かりません。

POLA-DARGENT14.jpg

ちなみに、ダルジャンの「キラキラ」がどんなものだったのか気になったので、
中身を確認してみましたが、既に約70年経っていると思われる中身は
劣化のためペースト状になり、キラキラも確認できませんでした、残念!

最後に少しオマケ。
1954年1月の日本粧業にポーラの特集記事がありましたので載せておきます。
創業から25年経っているにも関わらず、業界誌にこうした特集記事が載るとは!
ポーラが業界にとってどれだけ特殊な存在であったかが分かります。
ちょっと面白かったので一部だけ載せておきますね。
記事内容の気になる方は日本粧業会HPの資料館にて御覧になってみてください。

POLA-DARGENT15.jpg

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● COMMENT ●

久々のコメントになりました。化粧品のことは特によく知らないんですが、この箱やラベルのデザインはシンプルで控えめながらも洒落てますね。どことなくパピリオを意識したような雰囲気も?
自分も地元の賣藥について色々と調べ初めたのですが興味深いことが沢山あり過ぎて大変です(笑)時が来たら何らかの形で公表したいと思っています。

ボトルソウ道さん、どうも!

確かにパピリオ的と言えますよね!
デザインがシンプルな理由ですが、ポーラは店頭で他社製品と勝負する必要がなかったので、
目立つことより洗練されたデザインにこだわることが出来たのではと思います。
それにもし、お客さんに「ちょっと地味ね」と言われても、
セールスマンは「広告やパッケージより中身にお金かけてます」と営業トークできるワケです。

賣藥についてお調べですか!さすがトヤマですね〜
売薬の歴史の聖地ですから、色々面白いことが分かるでしょうね!
公表を楽しみにしています!

一つの映画を見ているような濃厚な歴史ですね~
昔の人々や企業の生涯や成り行きは本当に面白くて、読んでいるとついつい時が過ぎるのも忘れてしまいます(笑)
[ポーラ]はてっきり欧州の企業だとか思ってしまいそうな名前ですよね
変わった形の瓶や赤色の目に眩しい色の瓶だとか本当に独創的で手にしたいんですけど 思うと中々手に入らないんです…(物欲センサー)
何があってもめげず挫けない強い心があったからこそ、今日のポーラがあるんですね
見習いたいなぁ…

Re: タイトルなし

レトロアツメさん、こんにちは!

ポーラに関しては全く知識がなかったのですが、これを機会に社史を読んでみたら
案外面白くて、ポーラの資料閲覧室に長々と居座ってしまいました(笑)
ポーラの由来は創業当時、上映された映画『巴里の屋根の下』のヒロインの名前
という説もあるそうです、鈴木社長は生前、その説を否定も肯定もしなかったので、
説として根強く残っているとか……
この時代の日本の人々のハングリー精神、何かを成そうとするエネルギーは確かに
惹かれるものがありますよね!多少美化されている部分もあるでしょうが(笑)
見習いたいですね。
面白いビンが見つかりますように、応援しています!


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香水瓶収集からはじまり、日本の化粧品デザインに辿り着きました。特にビンが大好き!ラベルが残ってたら最高です。
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