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2017-03

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ポーラ化成工業株式会社 ダルジャン - 2017.03.20 Mon



化粧品にしては硬派なデザインの瓶ですが、
然り気無い個性があります!
ポーラ化粧品のダルジャンです。

ポーラの製品を取り上げるのは、これが初めてです。
戦前から続く老舗ではありますが、昔の瓶がなかなか手に入りにくいのと、
商報など調べても他メーカーと比べ広告量が圧倒的に少ない(=情報が少ない)ため、
なんとなく後回しにしてきてしまいました。
しかし、今回はダルジャンがまとめて手に入ったので重い腰をあげます!

POLA-DARGENT2.jpg

全長はベークライトのスクリューキャップを含めて約8cmあります。
ぽってりとした質感の陶製ビンです。

POLA-DARGENT3.jpg

ビンは表面も背面も同じデザインで、ラベルが有る無しだけの違いのようです。

POLA-DARGENT4.jpg

でっぱりを含めないとビンの厚みは約2.2cmです。

POLA-DARGENT6.jpg

POLA-DARGENT7.jpg

POLA-DARGENT8.jpg

ダルジャンの箱です。
以前の持ち主の仕業でしょうか?テカテカのセロハンテープで補強されています。
箱側面には「ポーラ ダルヂャン」という商品名と「光る化粧」という謎の言葉が!
この「光る化粧」という言葉の意味は後々判明することになります。
箱裏面には英語で商品の説明があり、意訳すると
「ダルジャンはあなたに、簡単でモダンな化粧法をご提案します。
 あなたの肌に合った色の粉白粉とご一緒にお使いください」
という意味になります(多分)。
更に箱の内蓋にも使用方法が書いてあります。
「ポーラダルヂャンをお顔へシットリ伸します、其上へ直ぐ粉白粉をどうぞーー
 勿論お肌の色に合ったものを。
 そして数分間静かに音楽でも聞きながらお肌を休めて下さいーー
 光る化粧、生きたお化粧の為に」
音楽でも聞きながら……なんだかポエムみたいな文章です!

POLA-DARGENT9.jpg

箱の底には会社名と住所だけでなく容量と価格も記載されています。
ポーラがポーラ化成工業株式会社になったのは1943年ですから
それ以降に作られた物と思われます。
どうして医薬品扱いなのかは、よく分かりません。
ポーラが軟膏の製造所として軍需工場の指定を受けていたからでしょうか。
10円という価格が高いのか安いのかですが、1943年頃の貨幣価値を現代に
換算すると1円=約2500円らしいので、10円=約25000円ということに!
これはちょっと高過ぎますね!
1946年頃だとすると1円=約400円なので、10円=約4000円になります。

POLA-DARGENT10.jpg

箱付きの他に、ビンだけのダルジャンも2つあります。
全て陶製です。

POLA-DARGENT11.jpg

左端のダルジャンはちょっと小さめですね。

POLA-DARGENT12.jpg

三つとも蓋はベークライトなのですが、デザインがバラバラです。
厳しい容器事情の為にデザインを統一する余裕は無かったということでしょうか。
こんなにデザインが違うのにどれもサイズ感はピッタリというのが面白いです。

ここからはポーラについて少し説明します。

創業者の鈴木努氏は静岡県生まれ。
なかなか商魂逞しい人物だったようで、大和ゴムや日本紅茶での勤務を経て、
春雨の輸入販売やラシャ紙の製造など、様々な事業に手を出していたようです。
しかしどれも上手くいかず、最終的に名古屋で創業した晒綿事業は
世界恐慌の煽りを受けて、生活は一向に良くなりません。
世間の情勢に左右されない事業を考えていた彼は、
「女性はどんな状況にあっても美しくありたいのでは?」ということに思い至ります。
化粧品事業を決意した彼が、妻の美千代さんに言い放ったとされる言葉がこれです。

「日本中の女を俺になびかせてみせるぞ!」

……自分がもし奥さんだったとしたら、
「はぁ~?アンタ何馬鹿なこと言ってんの!」と全力で突っ込む自信があります(笑)
でも、実際なびかせてみせたのですから、大したものです。
彼は早速、晒綿事業の傍ら化粧品製造についてのノウハウを学びました。
そして1929年9月、初めての製品であるクリームを完成させます。
美千代さんが行商に行き、一箱2〜3円のクリームを少しずつ売り歩きました。
2〜3円というと当時としては高価でしたが、高くても良い物は売れるはず……
というのが鈴木氏の信条だったようです。
1931年、化粧品事業に手応えを得た鈴木氏は家族を連れて故郷である静岡県に帰り、
「南光化学研究所 ポーラ化粧品」を創業しました。
ポーラの由来は諸説ありますが、鈴木氏は「声に出して感じの良い言葉を選んだ」と
後年に語っています。

さて、めでたく創業した鈴木氏ですが、最初のうちはやはり苦労したようです。
資金不足で広告を出せないため知名度は上がらず、知名度の無い製品を置いてくれる
小売店も無いため、訪問販売という販売手法をとることになります。
しかし当時、化粧品の訪問販売は珍しく、客は警戒心のため購入に至りません。
そこでセールスマン達は、客の警戒心を取り除くため数々の工夫をしました。
一箱売りではなく量り売りを基本にして少量を気軽に試せるようにしたり、
化粧品を売る以外のサービス(化粧のレッスンなど)を無償で提供したり……
その工夫のかいもあって、ポーラ化粧品は少しずつ一般に受け入れられていきます。

そして1938年、満を持して誕生したのが、ダルジャンです。
当時の乳液は脂肪分が高いせいでベタベタした使用感のものが多かったらしく、
ダルジャンは開発の際に使用感の良い乳液を作ることを目的とされました。
それからもう1つの大きな目的は、「金属的な色調」の物を作るということです。
ダルジャン(仏語で銀という意味)という名称の由来はここにあります。
「金属的な色調」が一体どういうものなのかは、文章から想像するしかありません。
社史では「名古屋時代に見た黒川の、夏の日差しを照り返すさざなみの乱反射の再現」
「乳液の中のキラキラ光る粒子」とだけ表現されています。
これだけ読むと、半端なくギラギラ輝くような乳液が想像されますが(笑)
実際は現代にもあるような、パール感のある化粧品だったのではないでしょうか。
また、乳液とありますが、ダルジャンの箱に書いてある使用方法を読む限りでは、
化粧の際に肌にツヤ感を与えるための化粧下地のような物だったことが想像できます。
それなら、箱に書いてあった「光る化粧」という言葉にも納得です!
開発には苦労したようで、液体の粘度とキラキラした質感を安定、維持するために
相当な労力を費やしたそうです。
そうして誕生したダルジャンは、社内でも大きな歓迎を持って迎えられるとともに、
客からの評判も上々、一躍主力商品の仲間入りを果たしました。
ちなみに、この当時のダルジャンの容器は、陶製の物とデザインは変わらないものの
ガラス製であったことがポーラのHPの写真で分かります。
写真が小さいので分かりませんがラベルのデザインにも違いがありそう?

順調に成長を続けるポーラですが時代の流れには逆らえず、
他の化粧品会社と同様に戦時色が濃くなるにつれて世間の風当たりが強くなります。
特に「ポーラ」は敵性語と勘違いされることが多く、販売には苦労したそうです。
1941年の時点で、製造販売の認可が得られたのはダルジャンを含めた8品目のみ。
会社を存続させる為に軟膏素材の製造を成功させ1943年には海軍の指定工場となり、
社名を「ポーラ化成工業株式会社」としました。
軍需工場となることで苦しい状況を打破したかに見えましたが、
1944年からの米軍による度重なる空襲で、ポーラは本社と工場を失ってしまいます。
失意の中、8月の終戦を迎えた鈴木氏と社員達はポーラの再建に奔走し、
1946年の6月に「ポーラ商事株式会社」として化粧品の製造販売を再開しました。
(このあたりの社名の変遷については、正直よく分かりません。wikiによれば、
ポーラ商事株式会社はあくまで販売部門の独立であって、ポーラ化成工業株式会社は
その後も存在しているようですが……)
この時、製造が再開された化粧品にはダルジャンも含まれています。
当時の化粧品容器の事情について、社史ではこうした説明がなされています。

「ガラス容器を注文しようにも製瓶会社はまだ生産を始められる状態ではなかった。
 仕方なく、焼け残った陶製の容器にクリームを詰めたりして製品にした。
 陶製の容器は、製法も原始的だったから不揃いでみてくれの悪いものであったし、
 内容物がもれるなどの問題点があったが、これに代わる容器はなかった。」

代用品は陶製の容器であったことがはっきりと書かれています。
また、「焼け残った陶製の容器」という記述から、陶製の容器は戦後だけではなく、
戦時中から使用されていたと推測できます。
私の持つ陶製のダルジャンが戦時中に作られた物なのか、1946年以降の物なのかは
ハッキリとは分かりません。

POLA-DARGENT14.jpg

ちなみに、ダルジャンの「キラキラ」がどんなものだったのか気になったので、
中身を確認してみましたが、既に約70年経っていると思われる中身は
劣化のためペースト状になり、キラキラも確認できませんでした、残念!

最後に少しオマケ。
1954年1月の日本粧業にポーラの特集記事がありましたので載せておきます。
創業から25年経っているにも関わらず、業界誌にこうした特集記事が載るとは!
ポーラが業界にとってどれだけ特殊な存在であったかが分かります。
ちょっと面白かったので一部だけ載せておきますね。
記事内容の気になる方は日本粧業会HPの資料館にて御覧になってみてください。

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リバストン化学 香水ビン色々 - 2017.03.12 Sun

riverstone-secound1.jpg

並べて楽しい、眺めて楽しい!
リバストン化学の香水ビン色々です。

昔に取り上げた事のあるリバストン化学の香水ビンですが(前回記事はこちら→
あれからレパートリーが増えたことに加え、今回はリバストン化学の石川惠一さんに
少しだけお話を伺うことができましたので、記事にしてまとめることにしました。
私の不躾なお願いにも快く応じて下さった石川さんには、改めて御礼申し上げます。

さて、王冠型の香水ビンといえば?
欧米では「プリンス・マチャベリ」ですが、日本では「リバストン化学」でしょう。
(私が勝手に決めました)
カラフルで楽しい形の多いミニ香水は後々ご紹介するとして、
まずは知っている方も多いと思われる王冠型の香水ビンをご紹介したいと思います。

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透明なガラスに金彩の施されたデザイン!ガラスも厚くて高級感があり、とても綺麗です。
この王冠型の香水ビンは見掛けることは多いものの、基本的に栓が無いんですよね。
「元々栓の無い香水ビンだったのでは?」なんて思ってしまうくらいでしたが、
この度は目出度く、栓のあるビンを手にすることができました。

riverstone-secound3.jpg

ガラス栓は小さいですが、丁寧な十字の飾りが施されています。
全長は約2.3cmです。
小さく軽いので、ポロッと抜けてしまっても気付かないかもしれません。
栓が無いビンが多いのはそのせいでしょうか!?

riverstone-secound4.jpg

底を見てみましょう。
エンボスは無く、ツルッとしています。

riverstone-secound5.jpg

ちなみに、栓が無いビンはなんと3つにまで増えてしまいました。
見つけるとついつい連れ帰ってしまう魅力があります。

リバストン化学の石川さんによると、これは約70年前に作られた物だそうです。
70年前というと、戦後しばらくの頃でしょうか。
石川さんは二代目で、これは先代の時代の物の為、詳細は不明とのことでした。
現在でも石川さんと交流のある当時のガラス瓶製造業者の方によれば、
このビンについて経緯は覚えていないものの、作ったことは確かだそうです。

ところで、この香水ビンは海外製と勘違いされてしまうことが多いビンです。
特に前述したプリンス・マチャベリと勘違いされる事が多いようなので、
需要があるか分かりませんが、見分ける際のポイントを適当にまとめてみました!

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左がリバストン香水、右がプリンス・マチャベリです。 ※画像は海外サイトより引用

着彩の有無/リバストンには金彩部分に鋲のような丸い装飾があり、ペイントが施されています。
      マチャベリにも同じように装飾がありますが、ペイントはありません。

十字の有無/リバストンはキャップだけでなく、本体部分にも十字の飾りがあります。
      マチャベリにはキャップ以外の場所に十字はありません。

ガラスの色/リバストンは透明と赤のみです。
      マチャベリは透明と赤に加え、グリーンやブルーなどのバリエーションがあります。
        
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続いては、何とも可愛いミニ香水ビン!
カラフルで、形も面白いものばかりです。
全長はスクリューキャップも含めて3.5〜4.5cmほど。
キャップには十字の飾りの付いたものと、クローバー型の飾りの付いたものがあります。
クローバー型のキャップにはチェーンが付いていた?と思われるリングが残されています。
おそらくキーホルダーとして販売されていたのではないでしょうか。

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私の持っている物を並べてみました。
違いがペイントの有無だけの物は省いています。

riverstone-secound11.jpg

ペイントの有無とは、こういう事です。
左は手塗りと思われるペイントが施されたもの、右はエンボスのみです。
ちょっと分かりにくいかも?
石川さんから頂いたリストによれば、ペイントの有無も含めて40種類あるようです。
全部集めるのは大変そうですね!

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このシリーズには基本的にラベルは付いておりませんが、底にはラベルがあります。
「輸入原料 リバストン香水 東京墨田 菊川1−6−5 リバストン化学 石川○一」
○部分は潰れて読めませんが、惠一さんのお名前でしょうか?
それとも先代のお名前?

この香水ビンについても、石川さんが当時のガラス瓶製造業者の方にお伺いしたところ、
「ハリスに依頼されて作ったもの」とのことでした。
ハリスとは、カネボウハリス株式会社のことと思われます。

その前身であるハリス株式会社は、チューインガムで有名な菓子メーカーの大手でした。
鐘紡百年史によると、戦後は本業の繊維産業に比べ相場変動の少ない化粧品、薬品、
食品分野への事業拡大を決定、ハリスの合併はその足掛かりとなったとあります。
合併以前からハリスにはチョコレートやガムの原料を供給、不況の際には資金援助を行い、
建て直しの為の人的資材も投入するなど、経営には深く関わっていたようです。
カネボウのこうしたバックアップもあって、ハリスは西日本市場を制圧し、
ロッテに並ぶ菓子メーカーと評されるまでに成長します。
更なる成長を目指してロッテの本拠地である東日本市場へ本格的な攻勢を掛けますが、
危機感を持ったロッテは大掛かりなキャンペーンを敢行、巧みな経営戦略によりハリスを
退けてしまいました。この頃から経営方針に対する見解の相違によりハリス経営陣は対立。
一部経営陣が独断でポップコーン事業に手を出して失敗するなど混乱が続きます。
この混乱を収束するため、ハリスの重役がカネボウに経営譲渡の相談を持ちかけます。
そして1964年4月、正式にカネボウに合併され、カネボウハリス株式会社が誕生しました。

「カネボウハリスガム」で画像検索すると当時のガムの広告を見ることができます。
その多くが景品付きで、景品はトランシーバーだったり、テープレコーダーだったり、
ハンカチだったり……と多種多様です。
前置きが長くなってしまいましたが、この景品の1つに「プチ香水」がありました。
つまり、リバストン化学で使用されていた香水ビンは、この景品と同一の物なのです!
1965年当時の広告を、とことこコロンさんがお持ちでしたので、画像を拝借いたしました。

riverstone-secound9.jpg

どうでしょうか?ラベルの有無やペイント、キャップの形に多少の差異があるものの、
同じ香水ビンであると考えてほぼ間違いないと思います。

リバストン化学とカネボウが、こうした形で繋がっていたという事は驚きでした!
記事の初めに紹介した王冠型の香水ビンも、カネボウの為に作られたものではないか?
という説がありますが、その可能性が高いような気がしてきました。
ちなみに、デザインはガラス瓶製造業者の方によるものだそうです。
石川さんから頂いた香水ビンのリストには広告に載っていないデザインもあり、
ハリスガムにビンを提供後もデザインを増やし続けたのでは?と推察できます。

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プロフィール

黒猫チャック

Author:黒猫チャック
香水瓶収集からはじまり、日本の化粧品デザインに辿り着きました。特にビンが大好き!ラベルが残ってたら最高です。
インスタグラム始めました。
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