topimage

2017-04

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ポーラ化成工業株式会社 ダルジャン - 2017.03.20 Mon



化粧品にしては硬派なデザインの瓶ですが、
然り気無い個性があります!
ポーラ化粧品のダルジャンです。

ポーラの製品を取り上げるのは、これが初めてです。
戦前から続く老舗ではありますが、昔の瓶がなかなか手に入りにくいのと、
商報など調べても他メーカーと比べ広告量が圧倒的に少ない(=情報が少ない)ため、
なんとなく後回しにしてきてしまいました。
しかし、今回はダルジャンがまとめて手に入ったので重い腰をあげます!

POLA-DARGENT2.jpg

全長はベークライトのスクリューキャップを含めて約8cmあります。
ぽってりとした質感の陶製ビンです。

POLA-DARGENT3.jpg

ビンは表面も背面も同じデザインで、ラベルが有る無しだけの違いのようです。

POLA-DARGENT4.jpg

でっぱりを含めないとビンの厚みは約2.2cmです。

POLA-DARGENT6.jpg

POLA-DARGENT7.jpg

POLA-DARGENT8.jpg

ダルジャンの箱です。
以前の持ち主の仕業でしょうか?テカテカのセロハンテープで補強されています。
箱側面には「ポーラ ダルヂャン」という商品名と「光る化粧」という謎の言葉が!
この「光る化粧」という言葉の意味は後々判明することになります。
箱裏面には英語で商品の説明があり、意訳すると
「ダルジャンはあなたに、簡単でモダンな化粧法をご提案します。
 あなたの肌に合った色の粉白粉とご一緒にお使いください」
という意味になります(多分)。
更に箱の内蓋にも使用方法が書いてあります。
「ポーラダルヂャンをお顔へシットリ伸します、其上へ直ぐ粉白粉をどうぞーー
 勿論お肌の色に合ったものを。
 そして数分間静かに音楽でも聞きながらお肌を休めて下さいーー
 光る化粧、生きたお化粧の為に」
音楽でも聞きながら……なんだかポエムみたいな文章です!

POLA-DARGENT9.jpg

箱の底には会社名と住所だけでなく容量と価格も記載されています。
ポーラがポーラ化成工業株式会社になったのは1943年ですから
それ以降に作られた物と思われます。
どうして医薬品扱いなのかは、よく分かりません。
ポーラが軟膏の製造所として軍需工場の指定を受けていたからでしょうか。
10円という価格が高いのか安いのかですが、1943年頃の貨幣価値を現代に
換算すると1円=約2500円らしいので、10円=約25000円ということに!
これはちょっと高過ぎますね!
1946年頃だとすると1円=約400円なので、10円=約4000円になります。

POLA-DARGENT10.jpg

箱付きの他に、ビンだけのダルジャンも2つあります。
全て陶製です。

POLA-DARGENT11.jpg

左端のダルジャンはちょっと小さめですね。

POLA-DARGENT12.jpg

三つとも蓋はベークライトなのですが、デザインがバラバラです。
厳しい容器事情の為にデザインを統一する余裕は無かったということでしょうか。
こんなにデザインが違うのにどれもサイズ感はピッタリというのが面白いです。

ここからはポーラについて少し説明します。

創業者の鈴木努氏は静岡県生まれ。
なかなか商魂逞しい人物だったようで、大和ゴムや日本紅茶での勤務を経て、
春雨の輸入販売やラシャ紙の製造など、様々な事業に手を出していたようです。
しかしどれも上手くいかず、最終的に名古屋で創業した晒綿事業は
世界恐慌の煽りを受けて、生活は一向に良くなりません。
世間の情勢に左右されない事業を考えていた彼は、
「女性はどんな状況にあっても美しくありたいのでは?」ということに思い至ります。
化粧品事業を決意した彼が、妻の美千代さんに言い放ったとされる言葉がこれです。

「日本中の女を俺になびかせてみせるぞ!」

……自分がもし奥さんだったとしたら、
「はぁ~?アンタ何馬鹿なこと言ってんの!」と全力で突っ込む自信があります(笑)
でも、実際なびかせてみせたのですから、大したものです。
彼は早速、晒綿事業の傍ら化粧品製造についてのノウハウを学びました。
そして1929年9月、初めての製品であるクリームを完成させます。
美千代さんが行商に行き、一箱2〜3円のクリームを少しずつ売り歩きました。
2〜3円というと当時としては高価でしたが、高くても良い物は売れるはず……
というのが鈴木氏の信条だったようです。
1931年、化粧品事業に手応えを得た鈴木氏は家族を連れて故郷である静岡県に帰り、
「南光化学研究所 ポーラ化粧品」を創業しました。
ポーラの由来は諸説ありますが、鈴木氏は「声に出して感じの良い言葉を選んだ」と
後年に語っています。

さて、めでたく創業した鈴木氏ですが、最初のうちはやはり苦労したようです。
資金不足で広告を出せないため知名度は上がらず、知名度の無い製品を置いてくれる
小売店も無いため、訪問販売という販売手法をとることになります。
しかし当時、化粧品の訪問販売は珍しく、客は警戒心のため購入に至りません。
そこでセールスマン達は、客の警戒心を取り除くため数々の工夫をしました。
一箱売りではなく量り売りを基本にして少量を気軽に試せるようにしたり、
化粧品を売る以外のサービス(化粧のレッスンなど)を無償で提供したり……
その工夫のかいもあって、ポーラ化粧品は少しずつ一般に受け入れられていきます。

そして1938年、満を持して誕生したのが、ダルジャンです。
当時の乳液は脂肪分が高いせいでベタベタした使用感のものが多かったらしく、
ダルジャンは開発の際に使用感の良い乳液を作ることを目的とされました。
それからもう1つの大きな目的は、「金属的な色調」の物を作るということです。
ダルジャン(仏語で銀という意味)という名称の由来はここにあります。
「金属的な色調」が一体どういうものなのかは、文章から想像するしかありません。
社史では「名古屋時代に見た黒川の、夏の日差しを照り返すさざなみの乱反射の再現」
「乳液の中のキラキラ光る粒子」とだけ表現されています。
これだけ読むと、半端なくギラギラ輝くような乳液が想像されますが(笑)
実際は現代にもあるような、パール感のある化粧品だったのではないでしょうか。
また、乳液とありますが、ダルジャンの箱に書いてある使用方法を読む限りでは、
化粧の際に肌にツヤ感を与えるための化粧下地のような物だったことが想像できます。
それなら、箱に書いてあった「光る化粧」という言葉にも納得です!
開発には苦労したようで、液体の粘度とキラキラした質感を安定、維持するために
相当な労力を費やしたそうです。
そうして誕生したダルジャンは、社内でも大きな歓迎を持って迎えられるとともに、
客からの評判も上々、一躍主力商品の仲間入りを果たしました。
ちなみに、この当時のダルジャンの容器は、陶製の物とデザインは変わらないものの
ガラス製であったことがポーラのHPの写真で分かります。
写真が小さいので分かりませんがラベルのデザインにも違いがありそう?

順調に成長を続けるポーラですが時代の流れには逆らえず、
他の化粧品会社と同様に戦時色が濃くなるにつれて世間の風当たりが強くなります。
特に「ポーラ」は敵性語と勘違いされることが多く、販売には苦労したそうです。
1941年の時点で、製造販売の認可が得られたのはダルジャンを含めた8品目のみ。
会社を存続させる為に軟膏素材の製造を成功させ1943年には海軍の指定工場となり、
社名を「ポーラ化成工業株式会社」としました。
軍需工場となることで苦しい状況を打破したかに見えましたが、
1944年からの米軍による度重なる空襲で、ポーラは本社と工場を失ってしまいます。
失意の中、8月の終戦を迎えた鈴木氏と社員達はポーラの再建に奔走し、
1946年の6月に「ポーラ商事株式会社」として化粧品の製造販売を再開しました。
(このあたりの社名の変遷については、正直よく分かりません。wikiによれば、
ポーラ商事株式会社はあくまで販売部門の独立であって、ポーラ化成工業株式会社は
その後も存在しているようですが……)
この時、製造が再開された化粧品にはダルジャンも含まれています。
当時の化粧品容器の事情について、社史ではこうした説明がなされています。

「ガラス容器を注文しようにも製瓶会社はまだ生産を始められる状態ではなかった。
 仕方なく、焼け残った陶製の容器にクリームを詰めたりして製品にした。
 陶製の容器は、製法も原始的だったから不揃いでみてくれの悪いものであったし、
 内容物がもれるなどの問題点があったが、これに代わる容器はなかった。」

代用品は陶製の容器であったことがはっきりと書かれています。
また、「焼け残った陶製の容器」という記述から、陶製の容器は戦後だけではなく、
戦時中から使用されていたと推測できます。
私の持つ陶製のダルジャンが戦時中に作られた物なのか、1946年以降の物なのかは
ハッキリとは分かりません。

POLA-DARGENT14.jpg

ちなみに、ダルジャンの「キラキラ」がどんなものだったのか気になったので、
中身を確認してみましたが、既に約70年経っていると思われる中身は
劣化のためペースト状になり、キラキラも確認できませんでした、残念!

最後に少しオマケ。
1954年1月の日本粧業にポーラの特集記事がありましたので載せておきます。
創業から25年経っているにも関わらず、業界誌にこうした特集記事が載るとは!
ポーラが業界にとってどれだけ特殊な存在であったかが分かります。
ちょっと面白かったので一部だけ載せておきますね。
記事内容の気になる方は日本粧業会HPの資料館にて御覧になってみてください。

POLA-DARGENT15.jpg

スポンサーサイト

リバストン化学 香水ビン色々 - 2017.03.12 Sun

riverstone-secound1.jpg

並べて楽しい、眺めて楽しい!
リバストン化学の香水ビン色々です。

昔に取り上げた事のあるリバストン化学の香水ビンですが(前回記事はこちら→
あれからレパートリーが増えたことに加え、今回はリバストン化学の石川惠一さんに
少しだけお話を伺うことができましたので、記事にしてまとめることにしました。
私の不躾なお願いにも快く応じて下さった石川さんには、改めて御礼申し上げます。

さて、王冠型の香水ビンといえば?
欧米では「プリンス・マチャベリ」ですが、日本では「リバストン化学」でしょう。
(私が勝手に決めました)
カラフルで楽しい形の多いミニ香水は後々ご紹介するとして、
まずは知っている方も多いと思われる王冠型の香水ビンをご紹介したいと思います。

riverstone-secound2.jpg

透明なガラスに金彩の施されたデザイン!ガラスも厚くて高級感があり、とても綺麗です。
この王冠型の香水ビンは見掛けることは多いものの、基本的に栓が無いんですよね。
「元々栓の無い香水ビンだったのでは?」なんて思ってしまうくらいでしたが、
この度は目出度く、栓のあるビンを手にすることができました。

riverstone-secound3.jpg

ガラス栓は小さいですが、丁寧な十字の飾りが施されています。
全長は約2.3cmです。
小さく軽いので、ポロッと抜けてしまっても気付かないかもしれません。
栓が無いビンが多いのはそのせいでしょうか!?

riverstone-secound4.jpg

底を見てみましょう。
エンボスは無く、ツルッとしています。

riverstone-secound5.jpg

ちなみに、栓が無いビンはなんと3つにまで増えてしまいました。
見つけるとついつい連れ帰ってしまう魅力があります。

リバストン化学の石川さんによると、これは約70年前に作られた物だそうです。
70年前というと、戦後しばらくの頃でしょうか。
石川さんは二代目で、これは先代の時代の物の為、詳細は不明とのことでした。
現在でも石川さんと交流のある当時のガラス瓶製造業者の方によれば、
このビンについて経緯は覚えていないものの、作ったことは確かだそうです。

ところで、この香水ビンは海外製と勘違いされてしまうことが多いビンです。
特に前述したプリンス・マチャベリと勘違いされる事が多いようなので、
需要があるか分かりませんが、見分ける際のポイントを適当にまとめてみました!

riverstone-secound12.jpg

左がリバストン香水、右がプリンス・マチャベリです。 ※画像は海外サイトより引用

着彩の有無/リバストンには金彩部分に鋲のような丸い装飾があり、ペイントが施されています。
      マチャベリにも同じように装飾がありますが、ペイントはありません。

十字の有無/リバストンはキャップだけでなく、本体部分にも十字の飾りがあります。
      マチャベリにはキャップ以外の場所に十字はありません。

ガラスの色/リバストンは透明と赤のみです。
      マチャベリは透明と赤に加え、グリーンやブルーなどのバリエーションがあります。
        
riverstone-secound6.jpg

続いては、何とも可愛いミニ香水ビン!
カラフルで、形も面白いものばかりです。
全長はスクリューキャップも含めて3.5〜4.5cmほど。
キャップには十字の飾りの付いたものと、クローバー型の飾りの付いたものがあります。
クローバー型のキャップにはチェーンが付いていた?と思われるリングが残されています。
おそらくキーホルダーとして販売されていたのではないでしょうか。

riverstone-secound7.jpg

私の持っている物を並べてみました。
違いがペイントの有無だけの物は省いています。

riverstone-secound11.jpg

ペイントの有無とは、こういう事です。
左は手塗りと思われるペイントが施されたもの、右はエンボスのみです。
ちょっと分かりにくいかも?
石川さんから頂いたリストによれば、ペイントの有無も含めて40種類あるようです。
全部集めるのは大変そうですね!

riverstone-secound10.jpg

このシリーズには基本的にラベルは付いておりませんが、底にはラベルがあります。
「輸入原料 リバストン香水 東京墨田 菊川1−6−5 リバストン化学 石川○一」
○部分は潰れて読めませんが、惠一さんのお名前でしょうか?
それとも先代のお名前?

この香水ビンについても、石川さんが当時のガラス瓶製造業者の方にお伺いしたところ、
「ハリスに依頼されて作ったもの」とのことでした。
ハリスとは、カネボウハリス株式会社のことと思われます。

その前身であるハリス株式会社は、チューインガムで有名な菓子メーカーの大手でした。
鐘紡百年史によると、戦後は本業の繊維産業に比べ相場変動の少ない化粧品、薬品、
食品分野への事業拡大を決定、ハリスの合併はその足掛かりとなったとあります。
合併以前からハリスにはチョコレートやガムの原料を供給、不況の際には資金援助を行い、
建て直しの為の人的資材も投入するなど、経営には深く関わっていたようです。
カネボウのこうしたバックアップもあって、ハリスは西日本市場を制圧し、
ロッテに並ぶ菓子メーカーと評されるまでに成長します。
更なる成長を目指してロッテの本拠地である東日本市場へ本格的な攻勢を掛けますが、
危機感を持ったロッテは大掛かりなキャンペーンを敢行、巧みな経営戦略によりハリスを
退けてしまいました。この頃から経営方針に対する見解の相違によりハリス経営陣は対立。
一部経営陣が独断でポップコーン事業に手を出して失敗するなど混乱が続きます。
この混乱を収束するため、ハリスの重役がカネボウに経営譲渡の相談を持ちかけます。
そして1964年4月、正式にカネボウに合併され、カネボウハリス株式会社が誕生しました。

「カネボウハリスガム」で画像検索すると当時のガムの広告を見ることができます。
その多くが景品付きで、景品はトランシーバーだったり、テープレコーダーだったり、
ハンカチだったり……と多種多様です。
前置きが長くなってしまいましたが、この景品の1つに「プチ香水」がありました。
つまり、リバストン化学で使用されていた香水ビンは、この景品と同一の物なのです!
1965年当時の広告を、とことこコロンさんがお持ちでしたので、画像を拝借いたしました。

riverstone-secound9.jpg

どうでしょうか?ラベルの有無やペイント、キャップの形に多少の差異があるものの、
同じ香水ビンであると考えてほぼ間違いないと思います。

リバストン化学とカネボウが、こうした形で繋がっていたという事は驚きでした!
記事の初めに紹介した王冠型の香水ビンも、カネボウの為に作られたものではないか?
という説がありますが、その可能性が高いような気がしてきました。
ちなみに、デザインはガラス瓶製造業者の方によるものだそうです。
石川さんから頂いた香水ビンのリストには広告に載っていないデザインもあり、
ハリスガムにビンを提供後もデザインを増やし続けたのでは?と推察できます。

株式会社ダイナー本舗 薬用ダイナークリーム - 2017.02.04 Sat



優勝カップ型の化粧品のビンといえば、これですよね!
株式会社ダイナー本舗の薬用ダイナークリームです。

日本のビンや化粧品のコレクターであるなら、一度は見たことがあると思います。
印象に残る奇抜なデザイン、人気がありますよね。
知名度の高さの割に、詳細が不明な化粧品の1つと言えるのではないでしょうか。

これは調べたら面白いぞ!と本腰入れて調べ始めたのが、確か去年の6月頃のこと。
ネットでは全く情報無し、東京大学画像アーカイブスはリンク切れを起こしたままですし、
化粧品商報から地道に情報を収集していきました。
その途中、色々寄り道をしてしまった為に暫くダイナーのことは放置。
しかし最近、久々に資料に目を通してみると結構書けることがあることに気付きました!
という訳で、興味のある方はお付き合いください。





箱の高さは約8cm、ビンの高さは蓋のツマミを入れて約7.5cmです。

追記:これはガラスの色が完全な黒ですが、取手に丸い穴のある初期型ビンに関しては
濃いコバルトブルーであるという情報があります。(初期型ビンの詳細は後述)
ダイナーはガラスの色に関しても年代の判断材料になるかもしれません。



底にはっきり「ダイナー」とエンボスがあります!



写真は色褪せ気味ですが…箱は鮮やかな橙色にブルーの帯がデザインされています。



内蓋には徳用瓶が載っています。
徳用瓶は流石に優勝カップ型ではないようです(笑)
「約三ヶ月以上の使用量」とあります。



箱の底を見てみると、95銭という価格とマル公マークが記載されています。
箱やビンのデザイン、価格から、これは1940年8月14日月以降に発売された
製品なのではと推測できます。(デザイン、価格の変遷は後述します)



説明書があるので読んでみました。
リパーゼとトリプターゼが配合されていることをウリにしているようです。
脂肪分解作用を持つリパーゼは脂性ニキビに、メラニンを分解する作用のある
トリプターゼは色黒に効く、と謳われています。
調べてみたところ、リパーゼは確かに脂肪分解作用があるようですが、
トリプターゼは、光老化を促進する悪者というのが現在の一般的な解釈のようです。
本当にトリプターゼが入っていたとしたら……当時の愛用者の肌がちょっと心配!



成分表?のようなものもありました。
こうやって表にされると、なんだかよく分からないけど化学的でかっこいい!
効きそう!と思ってしまいますね(笑)


ダイナー本舗は、1935年7月27日、京橋区築地で飯島歳雄氏により設立されました。
そして1935年11月1日に、ニキビ、ソバカス、美白、若返りに効果のある
薬用ダイナークリームを80銭で発売、派手な宣伝のかいもあり好調なスタートを切ります。

創立者の飯島歳雄氏は1889年長野県飯田町生まれ。
ダイナー創立前はアモンパパヤの支配人を務めていた人物です。
業界で鍛えた経営手腕で順調に業績を挙げ、1935年12月23日には事務所を移転、
店舗を拡大しました。更にその2日後の25日には組織を株式会社とし、
名称を「株式会社ダイナー美粧料本舗」と改め、社長には小田美穂氏が就任します。
飯島氏が社長になると思いきや?違うんですね〜。
ここでいきなり登場する小田美穂氏ですが、元々この人物は医学博士で、
ダイナーを研究開発したご本人です。
小田氏が社長なら、飯島氏は?と思ったら、支配人になっています。
アモンパパヤの時も支配人ですから、この人物は支配人という役職が好きなようです。
社長と支配人って、どちらの権限が強いんでしょうか?
力関係がいまいち分かりませんが、広告に出てくるのは小田氏の名前ばかりですので、
外面的には小田氏の影響力のほうが強そうです。
飯田氏はあくまでマネージャーのような存在だったのかもしれません。

1936年4月1日には1円50銭の「薬用ダイナークリーム徳用瓶」、
1937年3月18日には3円の「ダイナー麗美」(なんとラジウム入りクリーム!)、
1938年1月には50銭の「ダイナーミックス」(これまたラジウム入りの化粧水!)と、
毎年のように新製品を発表していきます。
戦争の影が色濃くなると、原料の高騰を理由にした値上げが2回ありますが、
趣向を凝らした広告からは会社の活気が見てとれます。1942年には、
ダイナーミックスの製造のため、工場を増設するという記事も見受けられますので、
概ね良好な経営状態だったのではないでしょうか。
1943年〜1945年3月の商報は公開されておらず(3月10日以降は東京大空襲により休刊)
この間の動向を知ることはできません。
ただし、1943年1月発行の化粧品年鑑は閲覧できるのでチェックしてみると、
ダイナーの広告が確認できます。

戦後のダイナーは、工場が焼け残ったため、早々と営業を再開しました。
1945年11月15日に復刊した日本粧業(1944年に商報の名称変更)では、
化粧品会社の空襲被害や人物の安否を報じていますが、ダイナーについて
「小田美穂氏は私邸も工場も無事」「倉庫が助かったのだから鬼に金棒である」
「香料を焼かれなかったのは何よりの強味」と楽観的に評価しています。
戦後すぐの日本粧業でダイナーは盛んに広告を出しているので、
戦争によるダメージは少なかったのは確かなようです。
この頃のダイナーの広告を見ると、ダイナークリーム、ダイナーミックス、
ダイナー麗美など看板商品はもちろん、香油や口紅まで取り扱っています。
物資不足で作れば売れる時代、勢いに乗って新製品を次々作り出したのでしょうか。
戦前の広告には見られなかったダイナーミートという乳液も広告に載っています。

1947年11月、ダイナーの医薬品化粧品の販売会社として「ダイナー商事株式会社」
が設立されます。小会社みたいなもの?
1948年1月には新製品ダイナー・パイル(ポマード)を発売。
この頃から、ダイナー麗美がダイナークリームを超える人気商品となり、
広告でもダイナー麗美の文字を多く見るようになります。
その年の12月、ダイナーは突然、会社を「発展的に解消」し、
新たに「大南興業株式会社」を設立しました。
化粧品事業はそのまま引き継ぐものの、経営体制は一新されたようです。
「社長である小田美穂氏の独裁から合理的体制に転換」とあり、常務取締役、取締役、
営業部長などという役職が新たに追加されています。
大南興業株式会社に組織変更後は、ダイナークリームを新製品として
宣伝する広告が見受けられますが、1949年4月の広告を最後に情報は途絶えました。
業績が悪かったようには見受けられないので、業界を鞍替えしたのかな?
なんて思いますが、本当のところは分かりません。

ところで、ダイナーという独特な商品名については結局何も分かりませんでしたが、
もしかして「ダイナー=大南(だいなん)」なんでしょうか?
まぁ、例えそうだとしても、何故「大南」なのかは謎のままなのですが……(笑)


ここからはビンの変遷を辿っていきます。



発売当初、1935年11月の広告に載っている写真です。足が長いですね!
取手部分に丸い穴が空いていて、蓋の縁には花柄の装飾(シール?)、ツマミは丸いです。
更に箱には化学式ではなく五線譜がデザインされており、私の持つものとは明らかに違います。
このタイプではガラスが濃いコバルトブルーをしているとの情報もあり、
それも初期型の特徴かもしれません。
この時のほうがハッピーなデザインですね〜実物が見てみたいです。



1937年7月の広告に載っているイラストです。
これが実際のデザインに忠実に描かれているとすれば、かなり私の持つものに似ています。
ただし、広告に記載された価格は80銭なので、時期が違います。



1938年7月の広告に載っている外箱の写真です。
この箱の形状から察するに、中にあるのはごく一般的な形のクリームビンだと思われます。
当時、優勝カップ型とクリームビン型の二種類があったということが分かります。



1940年11月の広告に載っている写真です。
表記されている価格は95銭です。
初期型に比べ、ポッテリとしていて私が持っているものと殆ど変わりないように見えます。
価格が90銭から95銭に改訂された1940年8月14日以降に発売された物なのは
間違いないと思われます。(80銭から90銭に値上げされたのは1938年4月1日)
初期に比べてこれだけ形が変わると、容量も変わっているのでは?と思うのが
当然ですが、ダイナークリームの広告や記事には容量の表記が一切無く、
その疑問を確かめる術はありませんでした。



1943年1月の化粧品年鑑の広告に載っている写真です。
一般的なクリームビン型ですね。
優勝カップ型がこの頃にも製造されていたかどうかは分かりません。
ビンの規格単純化が進められた時代なので、このデザインに一本化した可能性は大いにあります。
時代の空気の中で、あの独特なビン型を保ち続けるというのは現実的に難しい気がします。

情報の整理のため、年表にします。

1935年7月27日 飯島歳雄氏がダイナーを設立
1935年11月1日 薬用ダイナークリーム(定価80銭)を発売
1935年12月25日 株式会社ダイナー美粧料本舗を組織する(社長:小田美穂)
1936年4月1日 薬用ダイナークリーム徳用瓶(定価1円50銭)を発売
1937年3月18日 ダイナー麗美(定価3円)を発売
1938年1月?日 ダイナーミックス(定価50銭)を発売
1938年4月1日 ダイナークリームが80銭から90銭に値上げ
1940年8月14日 ダイナークリームが90銭から95銭に値上げ
1945年3月10日 東京大空襲。罹災は免れる。
1945年11月?日 香油と口紅を発売?(詳細不明)
1947年11月?日 ダイナー商事株式会社が設立
1948年1月?日 ダイナー・パイル(定価60円)を発売
1948年11月?日 組織変更し大南興業株式会社を設立
1949年1月?日 ダイナークリームを新製品として発売?(詳細不明)

大体の年代の特定が出来る程度には調べがついたので嬉しいのですが、
戦後のダイナークリームがどんな形のビンだったのか?
大南興業株式会社がその後どうなったのか?
気になる事はまだまだ沢山です。

久しぶりなのでコツコツ集めてきた香水ビンをまとめて見せようと思う。 - 2016.09.18 Sun



ご無沙汰しております!
最後に更新したのがいつなのかも記憶が曖昧です。
前記事を確認してみたところ、なんと更新は5月21日!
夏は一回も更新しなかったわけですね〜なんて酷いブログなんだろう(笑)
もうこのブログはこのまま死んでしまうのではないか…と思った方も多いでしょうが、
(自分でも思った)本日をもって、めでたく復活いたします!

この間、何にもしてなかったワケじゃないんです。
収集に励みつつ、びん博士のお手伝いをしたり、インスタグラムを更新したり、
ネット上でお付き合いしていた趣味のお友達と初めてお会いしたり、
次の記事に向けて調べものも進めていました。
しかしながら、次の記事に向けての調べものが思うように進まない中、
プライベートでも色々な問題の解決に追われることに……
人生に踏ん張りどころってあると思いますが、今がその時のひとつなんですかね。

ちょっと話が逸れました!本題に戻ります。
今調べているものは、記事にできる内容になるまでもう少しお待ち頂くとして、
今回は私がコツコツ集めている小さくて素朴な香水ビンを紹介したいと思います。
華やかなものばかりではありませんが、香水ビンの夢のあるデザインは
眺めていると幸せな気持ちにさせてくれますよ。



1つ目はこちら。全長6cmほどの可愛い香水ビンです。
ガラス栓の「ガラスの塊」感がとても良い!
メーカーは不明ですが、ラベルの西洋婦人の横顔の下には「Bijin」と書かれています。
そのまま「美人」という意味なのか?それとも外国の言葉なのか?分かりません。
首には「WHITE ROSE」と書かれたラベルが巻かれています。



こちらは全長8.5cm、とてもロマンチックなデザインです。
自分の持っている物の他にも何度か見掛けた事があるので、
それなりに流通しているようですが、詳細は分かりません。
ゴールドのラベルには「FREE FROM ALCOHOL」とあります。
そのまま「アルコール使ってません」という意味でしょうかね〜
ラベルの下部には「SUMITO MADE IN JAPAN」とあり、日本のものであることは
間違い無さそうですが……「スミト」ってなんだろう?



続いてはこちら。全長は約8cmです。
色褪せたリボンがとても良い感じ!しっかりと巻かれているのを見る限り、
未開封かな?と思いますが、ガラス栓には4箇所の溝があります。
ここにはガラス栓を固定するための糸(正式名称が分からん 笑)を
這わせていたと想像できますが、それが無いからやっぱり開封済み?
ところで、このラベルデザイン、何だかどこかで見た事あるなぁ〜と思ったら……
昔に取り上げたロジェ・ガレのフルール・ド・アムールにクリソツ(死語)でした。
その時の記事がこちら
ラベルには「KATCHO」とありますが、おそらく課長……
じゃなくて「花蝶」だと思われます。
明らかにフルール・ド・アムールを意識している香水なので、
同じ時期に販売されていたのではないでしょうか。



高級感ありますね〜!久邇(くに)香水です。
リボンや金糸の状態を見るに、それほど古いものではないと思います。
発売元の久邇香水本舗については語りたいことが多いのですが、
簡単に説明すると皇族の久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)が戦後の
皇籍離脱後(久邇を姓とし「久邇朝融」と名乗る)に興した異色の香水会社です。

ガラス栓にプリントされているのは、久邇宮家の御紋だそうです。
底のラベルには「製造元:久邇香水本舗」、「発売元:久邇コーポレーション」
とあり、発売元の住所は東京都新宿区となっています。
現在でも久邇香水は製造販売されていますが、そのHPを見ると発売元は
「久邇コーポレーション・ルリ」となっており、住所は福岡県でした。
ちなみに久邇朝融は皇族時代からトラブルメーカーで、破天荒な人物として有名です。
皇籍離脱後は香水の他にも様々な事業に手を出しますが悉く失敗。
失意のうちに亡くなっています。
そんな背景がありながら久邇香水が今日まで生き残っているというのは驚きです。



丸いガラス栓が可愛い!髙島屋?の香水ビンです。
ラベルを確認してみると赤い○の中に髙の字があることが分かります。
だから私はこれを単純に髙島屋のものと思っているのですが、真相はいかに?





可愛いというよりカッコイイ香水ビン。
ガラス栓がとても凝っています。モチーフはワシでしょうか?
日本のものではないような気がします。
ラベルの文字はうっすら「OSTA」と読めますが、検索しても意味は分からず。
情報募集中です。



ガラス栓の丸い部分が異常に大きい(笑)パピリオのパピリオ・ドオルです。
シンプルだけども思い切ったデザインは「らしさ」に溢れています。
パピリオの香水ビンはそれなりに流通しているものの、このタイプは見掛けません。
1970年代頃のものかな?調べるのはまた今度……



小さく可愛らしい香水ビンです。
首に巻かれているラベルには「ROSE VIOLET」とあります。
正面のラベルには帆船のイラストの下に大きくFとMを組み合わせたブランドロゴ?
があり、更にその下には小さく「THE FAMES PERFUMERY.CO」と書かれています。
ハッキリと会社名が載っているにも関わらず、検索しても何も分かりませんでした。
おそらく海外のものと思われます。



金扇香水という、めでたい感じの香水です。
ラベルには扇と鶴のイラストがあります。
金扇という商品名からして、金鶴香水を意識しているのは明らかだと思います。
ガラス栓はお花をイメージした形でしょうか?
どうせなら金扇に絡めた形にすれば良いのにとも思いますが、可愛いからまぁ良いか!
ラベルに変な落書きがあったのでフォトショで少し消してみました。
仕事だと頑張れるんだけど、これは途中で面倒くさくなって断念(笑)
中途半端に残っちゃってゴメンナサイ!



日の出香水とスワン香水です。
この2つ、全く関係の無い香水と思っていたのですが、並べて比べてみたら
日の出とスワン以外の部分のデザインはそっくり!(スワンは撫で肩なビンだけど)
下部の表記の「POUL LE Mouchol」も全く同じでした。
「日の出」と名の付くからには日本のものと思うのですが、詳細は分かりません。





今回、ご紹介するのはこちらで最後となります。
ラベルに赤い字で「Mikasa」と書かれているので、ミカサ香水でしょうか。
ガラス栓のデザインが如何にも日本的でとても気に入っています。
自立できないタイプです。おそらく持ち運び用でしょう。
香水ビンにおいて、ガラス栓のデザインってとっても重要だと思います。
これが普通の形をした普通のガラス栓だったら?
全く違った印象になることでしょうね。

矢野芳香園(と丹平商会?) ツバメ香水 - 2016.05.21 Sat



お久しぶりですー!
またまた、ご無沙汰してしまいました。
今年は更新頻度を上げるぞ!と意気込んでいたのに、駄目ですねー……
休日に一日引き籠れるぐらいの時間が取れないと記事がまとめられない私、
最近はなかなか、そんな時間が取れずにいました。
今回取り上げるツバメ香水の発売元である矢野芳香園は、コレクターの間で名前が
知られている割には謎が多いんですよね。
たっぷり時間を掛けたかいあって!?矢野芳香園については色々な新事実が浮上してきました。
その新事実とやらに興味のある方がどれだけいるのやら、分かりませんが(笑)、
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。





THE・香水なデザイン!繊細で美しくて私はこういうの大好きです♪
全長は約6.5cmと、やや小振りなサイズ。
ツバメ香水なので、当然ながらツバメが描かれています。
ラベルには「parfum Goncentre」「ARONDE」「Poul le Mouchoir」とあります。
「Goncentre」は「Concentre」の事だと思いますが(この時代はスペルミスが多い)、
コンセントレは仏語で「濃縮」という意味で、現在でも香水にはよく使われる表現です。
謎なのは「ARONDE」と「Poul le Mouchoir」で、両方とも仏語だと思うのですが、
調べてみると「ARONDE」は仏人の人名としてアロンドと読む、という情報しかありません。
商品名はツバメ香水なのに、全然関係無い語を一番大きく表記するって、どうなの!?
それから「Poul le Mouchoir」ですが、直訳すると「ポールのハンカチ」という意味に……!!
ポールって誰やねん!フランスのハンカチ王子かよ!(古いネタですいません)
この時代の外国語表記はかなり適当だとは思っていましたが、これは酷いです(笑)
何かの暗喩なんじゃないかとも思いましたが違いますよね?仏語に詳しい方、ご教授ください。

訂正:「ARONDE」は古代フランス語で「ツバメ」を意味する語だと情報提供を頂きました!
今一度しっかり調べてみると、11〜12世紀頃まではツバメを意味する語だったそうで……。
ちゃんとした表記だったのですね!矢野芳香園ごめんなさい!
「Poul le Mouchoir」についても、「pour le」で「〜のために」という意味があるそうで、
「Mouchoir」と合わせると「ハンカチのために」となるようです!ポールじゃなかった(笑)
ハンカチに垂らして香らせる方法はこの当時の一般的な香水の使い方ですし、香水ビンのラベル
に表記される言葉として違和感ないものだと思います!
重要なことだと思いましたので、早々に訂正させて頂きました。
情報提供ありがとうございます!



背面にはシンプルに「ツバメ香水」と表記されたラベルがあります。
表に商品名の記載が全く無いワケですから、これは必要に迫られて付けた感アリアリですね(笑)



この香水ビンで一番気に入っているのは、実はこのガラス栓かもしれません。
私はこのタイプのガラス栓を、勝手に「ドアノブ型」と呼んでいます!

それにしても、矢野芳香園、情報がない!ないない!こんなに無いとは思いませんでした。
矢野芳香園と言えば、ツバメ香水の他にも「大学白粉」とか「美乳」とか、
コレクターならば大抵見聞きするようなメジャーな製品を沢山遺しているんですよね。
だから企業情報も結構残ってるのではと思っていたのですが、全然そんな事ありませんでした。
昔の企業のことを調べるのはやっぱり難しい、ということを今更ながら痛感してます。

定説では、1909年に矢野順藏が大阪で設立、同時に大学白粉発売……となっていますよね?
私もそれを信じこんでいて、1909年から商報を調べ始めたのですが、どうもおかしいのです。
まず、1909年1月の商報です。
矢野芳香園は1月1日発行の商報に、正月を祝う広告を出しているんです。
1月1日発行の商報に広告を載せるには、少なくとも1908年の末には紙面のスペースを確保して、
広告のデザインを確定しなければなりません。
それができるということは、矢野芳香園は1909年以前から存在しているということになります。
それから、決定的だったのは1912年3月のツバメ洗粉と金燕歯磨の発売広告です。
広告には「本舗始めてツバメ歯磨を公にしてよりここに満10年」
「ツバメ歯磨発売10周年記念」とあります。
ここで私は「えー!」と思わず声が出てしまいました(笑)
1912年の10年前は、単純に考えて1902年です。
これが「矢野芳香園設立と同時にツバメ歯磨を発売して満10年が経ちました」という意味の
文章だと解釈すると、1902年が矢野芳香園の設立年と考えられます。
定説の1909年と比べ、7年ものズレがあるということになるのです……
こりゃ一体どういうことでしょう。

となると、1909年から更に遡れば矢野芳香園のことがもっと分かるかもしれません。
ほんの少し面倒くさいですが(笑)地道に遡っていくことに……
すると、大学白粉の発売時期と発売元についても、新事実が発覚しました。

大学白粉といえば、矢野芳香園が設立と同時に発売した看板商品のイメージがありますが、
それもどうやら違うようなのです。
大学白粉の広告が初めて商報に登場するのは1907年7月になります。
発売記事掲載もこの頃ですので発売は1907年7月とみて、ほぼ間違いないと思います。
注目すべきは発売元の記述で、矢野芳香園ではなく、「大学白粉製煉所」とあります。
同じ年月日の商報に、矢野芳香園はツバメ歯磨の広告を出していますが、大学白粉との
関連を思わせるような記述は何もありません。
それ以降も、矢野芳香園と大学白粉製煉所、双方とも頻繁に広告を出していますが、
関連性を思わせるようなものは一切ありませんでした。
これは1908年1月の大学白粉の広告です。



商品名の書かれた黒板を指し示す、教授らしき人がイケメンです。手がでかい。
「大学白粉製煉所」の記述があります。

それが、1908年7月、いきなり大学白粉の発売元が矢野芳香園に変わります。
そして8月には特別製大学白粉なるものを発売しています。
この特別製は、矢野芳香園と合併?吸収?後のリニューアル商品だと思いますが、
中身は既製品と殆ど変わりなかったのでは……(笑)
この時まで、矢野芳香園はツバメ歯磨のみを自社製品として販売していたと思われます。
合併?吸収?の経緯については全くの想像ですが、歯磨粉だけでなく化粧品事業に
手を出したい矢野芳香園と、東京だけでなく大阪にも販路を広げたい大学白粉製煉所、
双方の利害が一致した結果ではないでしょうか。
(博士にこの件についてお伺いしたところ、「乗っ取り」の可能性もあるとのことでした。
矢野芳香園が大学白粉という人気商品を自社商品とするため、あまり穏やかでない方法を
とった可能性もあるとのこと)

本当なら、矢野芳香園が設立したと思われる1902年まで遡って調べたいのですが、
1897~1906年5月までの期間の商報は公表されていないので、1906年の6月までしか
調べられなかったのが心残りです。
東大の画像アーカイブスも画像のリンク切れで使えなくなってしまっているんですよね~
早く復旧して欲しいのですが……

今回新しく分かったことが多かったので、時系列の整理のため、年表を作成してみました。

1902年3月 矢野順藏が大阪で矢野芳香園を設立。同時にツバメ歯磨を発売。
1907年7月 大学白粉が発売される。発売元は大学白粉製煉所。
1908年7月 矢野芳香園が大学白粉の発売元となる。
1908年8月 特別製大学白粉を発売。
1911年3月 初めてツバメ香水の広告が現れる。発売もこの頃か。
1912年3月 10周年を記念してツバメ洗粉と金燕歯磨を発売。
1916年?月 矢野芳香園が「大学白粉」、丹平商会が「ツバメ化粧品」の専業になる。

1916年の「丹平商会がツバメ化粧品の専業になる」に関しては、詳しいことは
一切分かりませんでしたが、NCMでは書かれていることなので年表に入れておきます。
最近手にした絵葉書を見る限り、丹平商会がツバメ化粧品を扱っていたことは確かなようです。



桜だから、春に発行された絵葉書かな?
左下の桜の中に「品質優良 ツバメ香水 ツバメ歯磨 ツバメ洗粉 丹平商会」とあります。

ところで、肝心のツバメ香水です!
ハッキリとした発売広告があったワケではありませんが、1911年頃から広告が
よく見られるようになるので、発売もその頃かな?と思います。曖昧ですいません(汗)
1913年の小間物化粧品名鑑によれば、大瓶、中瓶、小瓶、大豆、小豆と、
豊富な容量展開がされていたようです。
私の持っている物は比較的小振りなので、小瓶か大豆かなと思います。
ここで広告の一つをご紹介します。1913年の広告です。
ツバメ香水だけあって「飛ぶように売れる」ことをアピールしております(笑)



1915年までの広告のビンは全てこのデザインですし、私の持っている物も同様です。
でもボトルソウドウさんの持っているツバメ香水は扇型のガラス栓なのですよね!
何種類かタイプがあるのかもしれません。ボトルソウドウさんのツバメ香水はコチラです。
背面に三越のラベルがあるので、三越百貨店に置くために作られた特別バージョンでしょうか。
このツバメ香水の他にも、百貨店とのコラボ商品は幾つか見たことがあります。
もう一つの可能性は、丹平商会がツバメ化粧品の専業になってからのデザインの変更です。
1916〜1925年の期間の商報も、閲覧不可なためそれを確認できないのが残念です。

ツバメ香水がいつまで販売されていたかですが、閲覧可能な1926年以降の商報では、
情報は見当たらないため、1916〜1925年の期間に販売を終了した可能性が高いと思います。
矢野芳香園に関しても同様なので、1916〜1925年の間に倒産してしまったのかも?

1916年の丹平商会へのツバメ化粧品の移動?が気に掛かります。
どうして丹平商会がツバメ化粧品の専業になるのかが分かりません。
その頃の丹平商会には、健脳丸や今治水などの看板商品が既にありましたでしょうし……
専業というよりかは、「矢野芳香園からツバメ化粧品の権利を買い取った」と表現したほうが、
実際に近いのではないかと思います。
経営の苦しくなった矢野芳香園がツバメ化粧品の権利を丹平商会に買ってくれるよう頼み、
同郷の丹平商会は矢野芳香園を助けるつもりで引き受けた?
それとも、ツバメ化粧品を丹平商会が「乗っ取った」ことで経営が苦しくなり倒産した?
真実は分かりません。
同じ大阪を拠点とした企業で、化粧品業と薬品業という似通った業界ですから、
接点が無かったワケでは無いと思います。
丹平製薬に問い合わせてみれば、そのあたりの経緯が分かるのかもしれませんが、
流石にその勇気は無いので、迷宮入りです(笑)

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

黒猫チャック

Author:黒猫チャック
香水瓶収集からはじまり、日本の化粧品デザインに辿り着きました。特にビンが大好き!ラベルが残ってたら最高です。
インスタグラム始めました。
ID:KURONEKO0118

アナログ時計(黒)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (1)
化粧水ビン (17)
香水ビン (29)
白粉ビン (11)
本 (2)
クリームビン (7)
白粉紙箱 (2)
生理用品 (1)
その他 (12)
香油ビン (1)
インクビン (1)
薬ビン (5)
白髪染めビン (1)
缶 (2)
ポマードビン (1)
玩具 (1)
乳液ビン (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。